peicozy's blog

マラソン、トライアスロン、ブルベの完走記と、日々思うこと

はじめてのロードレースでつくばマラソンにでてみた

※2007年にはじめてつくばマラソンに参加したときの記録です。当時別のサイトでまとめていたのですが、閉鎖されたのでこちらに再掲しました。

きっかけ

7月はじめの昭和記念のトライアスロン(スプリント)が終わってしばらくたち、夏に申し込んでおいた「東京マラソン2008」の落選通知がきた10月初旬。なんだか、気が抜けそうな気分だった。


その日、夜に7kmくらいのランニングをして帰ったあとに、半年前に比べたら少しは走れる体になったなぁと思った。そして、何か手ごろなレースがないかなとWebを見ていたときに、あと2ヶ月弱。 ちょっと高いハードルだけど、申し込んでみた。 それが、今回参加した「第27回つくばマラソン」だ。

自分スペック

ひとまず自分のスペックはこんな感じだ。

  • 36歳、既婚、3人の子持ち。
  • スポーツは週1回のバスケ、冬はアルペンスキー(ポールくぐるやつ)、あと週3日くらいランニング5kmくらい。
  • ビールは毎日飲む。
  • 179cm
  • 67kg (ランニングするようになって少しやせた)

レーニング計画

計画とはいっても2ヶ月もない。ランニングで今までの最長距離は約20km。いきなり距離を伸ばせないので、1週ごとに5kmづつ伸ばしていく計画を立てた。

10月終わりに25km。次の週に30km。またその次の週に35km走ることにした。そして、レース前2週間は調整期間とする予定にした。また、11月終わりのレースはきっと寒いと思ってその対策?として、日ごろのランニングは朝するようにした。


朝ランに切り替えもうひとつの理由は、村上春樹が「走ることについて語るときに僕の語ること」の中で、朝走っていると述べていたからでもある。

レース4週前 25kmラン

10月の終わりに25km走ってみた。近所をぐるっと回るコースをGoogleマップで下調べして走った。アップダウンがきついが気持ちよく走れた。それまで、走るといったら夜ばかりだったので、日中、いろんな景色を眺めながらのランニングがこんなに気持ちいいとは知らなかった。


気持ちとはうらはらに、家に帰ったら、脚はヘトヘト。午後は、家族をつれて公園へ行ったが、逃げる子どもたちを追いかける脚力はなかった。特に左ひざ外側と右足土踏まずが弱いらしい。

25km 2時間48分1秒

レース3週前 30kmラン → 35km(半ラン+半歩き)

25km走った次の週末。35km走ってみることにした。前週にくらべて10km増となる。今回はアップダウンのない平坦な道を往復して帰ってくるよう計画したので走りきるだろうと思った。片道17.5kmとなる。


先週に続いて、この日も天気が良く、木々の影に入るとひんやりして気持ちよかった。交通量が多い16号だが、歩道もそこそこ広いので走りやすい。


気持ちよく往路を走り終え、復路へ。さあ、あと半分だ。と思ったが、左ひざに痛みを感じた。曲げたり、力が加わったりするとかなり痛い。いつのまにかとても走れる足ではなくなっていた。


途中電車で帰ろうとも思ったが、せっかくなので35km歩きも含めて、どれくらい時間がかかるものなのか、またそのときの体の疲れ具合を知ろうと思って、復路を歩ききった。

35km 4時間49分27秒

レース2〜1週前 調整 → 故障と休養

レースまで残り3週間となった。ここからは、5kmから10kmくらいを週3日程度こなして調整していくつもりでいた。


実際には、故障した左ひざが少しでも早く回復してくれるように祈っているだけの毎日だった。平日はまったく走らずにいた。会社の先輩から、「ジョイントリペアー」なるサプリメントももらった。どうやら関節の軟骨の再生に有効な成分が含まれているらしい。(そういった、専門機能化されたサプリメントがあることを知らなかった)


レース2週前に4kmくらい走ってみた。30分弱でひざに痛みが走ってきた。よくなっていない。再び休養。


レース1週前に6kmくらい走ってみた。やっぱり30分弱でひざに痛みが走ってきた。よくなっていない。


この時点で、つくばをスタート棄権する気持ちがほぼ固まった。悔しいけど、とても42.195km走れる脚になってない。やっぱり、35kmトレーニングの時に、痛みがある脚のまま歩いて帰らずに、電車にのって帰ればよかった。はじめの計画どおり、5kmづつ増やせば、ひざも負荷に慣れていったのかもしれない。 レースにむけての調整は失敗だった。と自分の中で、つぶやいた。

リラックス

いっしょに出る予定だった兄に電話した。スタート棄権しようと思っていることを伝えると、「レース中、痛くなったらそこでやめてもいいからとりあえず出てみれば?」と言われた。そういえば、別に自分はプロのランナーでもないし、完走が目標だったけれど、いけるところまでっていう目標もあるな。と思い直した。


そうしたら、フッと気分が楽になった。そして、ひざが痛くなったらそこでやめる。無理はしない。と自分で決めて、やっぱり、スタートラインに立つことにした。

こんな格好で走った

  • ランニング用長袖Tシャツ(INSPORT)
  • CW-X
  • 帽子
  • 手袋
  • CW-Xランニング用ソックス
  • ランニング用ウェストバッグ
  • 45リットル半透明ゴミ袋(手、頭の穴をあけてかぶれるようにしておく)
  • パワーバージェル2個
  • のど飴

2ヶ月で走った距離

7 20 6 10 8 7 7 7 25 5 5 4 35 4 6: 計156km (15日間)

レース当日

4時半起床。少なくとも、8時間は寝ようと思って、前日8時には寝たので睡眠は十分のはず。パンとバナナをかじって家を出る。


7時過ぎ。秋葉原駅つくばエクスプレスへ乗り換え。TXは初めて乗った。結構地下深いとこにホームがあるんだな。駅でトイレに行こうと思ったが、つくばに出るランナーたちが並んでいる。ひとまず電車に乗り込んだ。


この様子だと、つくば駅のトイレも混んでそうだ。と思って、2つ前の万博記念公園駅でいったん降りる。案の定トイレはがらがら、ゆっくり用を足して次の電車に乗り込む。結構いい作戦だど思うのだが。


8時過ぎ。つくば駅着。会場まで歩いて20分くらい。けっこう遠い。朝は時間ないからシャトルバスのほうがよいかもしれない。ちなみにシャトルバスはつくば駅ではなく、そのひとつ前の「研究学園」駅から出ている。


8時20分頃。受付。ゼッケン番号別に1000番?単位でテントが分かれている。ゼッケンと同時に、RCチップも配られる。RCチップははじめて手にとったが、とても軽いものだった、これなら靴につけても確かに違和感ないなと思った。


スタート(9:30スタート)まで残り45分くらい。 BCAAのサプリメント飲んで、パワーバーをかじり、バナナを食べ、スポーツドリンクを飲みながら、着替える。かなりいそがしい。っていうか時間足りない。


スタートまで残り13分。手荷物をビニールぶくろに入れて、手荷物預かり所へ。ごった返している、てんやわんや。よくテレビでみかけるデパートのバーゲン会場のようだった。(荷物を預けるので逆だけど)


スタート3分前。どうにかスタート前に間に合った。なんだかわくわくする。それぞれの目標はあるにせよ、1万人以上の人々が、一緒の競技をすることになんだか感動。

レース開始

号砲が聞こえたものの、自分がいる集団9000番台はまだゆっくり歩ける程度。はるかむこうには、スタートラインらしきものが見える。やっとスタートラインを切ったのは、約7分後だった。いよいよはじまったって感じ。


最初の5kmはつくば大学構内をひとまわりする。集団のままゆっくりとしたペースで走っていく。5kmを35分のペース。早く外周にならないかなぁと思う自分がいる反面、左ひざが、早速じんわり痛くなってきたのを感じて、ああ、やっぱり、直ってないんだぁ...。としぼむ気持ち。

5〜10km

木々におおわれた学園内のコースを抜け、外周へ。 4車線中1車線がマラソン用に規制されている。ほぼ直線のコースをひた走る。沿道にはちらほら応援の旗をもった市民。たまに、車道を走る車からも声援をうける。 うれしはずかしい感じ。


車道は、微妙にわだちがあるので、着地する脚(特に左脚)に負担がかからないのはどこかを探りながら走ってみた。途中何度か、痛みを忘れて走れた気がした。

10〜15km

ひざは、だましだましって感じ。15kmまで走れたら続けるかやめるか考えようと思って走った。ペースは練習時よりも断然遅いペース。 12kmから先は、道を折れて、2車線中2車線規制のコースへ。静かで走りやすい、若干上りかな?どうにか15kmまでたどりついた。あと少しは走れそうだ。

15〜20km

折り返しコースなので、この頃、先頭集団が復路をたどってくる。力強い走り。ゼッケンは3桁の選手たち。もうそろそろ、やめどきを探っていた自分だったが、みんなの走りをみてなんだか勇気づけられる。 もうちょっとだけと思って、どうにか脚を前に運びつづける。次第に、復路の選手たちのゼッケンは、3000番から6000番へ。いつのまにか、自分も20kmに到達。ここまできたら、折り返しの22.4kmまでは行きたいと思い直す。

20〜25km

自分のまわりの選手たちのペースがダウンしてきた。同じペースで走っているつもりが、追い抜くほうが多いな。折り返しってまだ?って思えば思うほどたどりつかない感じ。ようやく、空気で膨らませた、でかい三角コーンが見えた。コーンをよたよたとターンしながら、思った。やったぁ。ひとまず目標達成だ。ひざは痛くて棒のようだけどよくやったなぁ。いつやめてもいいや、と。


そしてこうも思った、一度止まったら2度と走り出せないことは以前のトレーニングでわかっている。今のタイムでいったいどこまで走れば残りを歩いて完走できるのか? という計算が頭に渦巻いた。できれば、30kmまで走っておきたい。最低でも25kmまで走り、残り歩くか。

25〜30km

もしかして、30kmまで行けるかも。と一瞬思ったが、25km地点の給水とバナナでぱたっと脚が止まった。この時点で3時間きっかり。残り17km少しを歩くしかない。レーニング時走れなくなって、歩いたのも約17kmで、2時間40分くらいかかっただったハズ。途中、止まらなければ、制限時間には間に合う計算だ。


大またでガシガシ歩いた。実際はそうでなかったかもしれないが、気持ちは、大またでガシガシ歩いた。 5km歩いて45分経っていた。このペースを保って歩けば、間に合う。

30〜35km

この5kmは50分くらいかかった。さすがに、平常時の散歩のペースでは歩けてない。 32km付近の給食地点での、しること梅干に助けられた。おなかは減っている。

35〜40km

いわゆる35kmの壁だが、歩いて越えたのでよくわからない。ひたすら、てくてく歩いていくだけ。すっかり交通規制は解除され、2人並んだら道がふさがれてしまう幅の歩道を歩く。この頃は走っている人の方がまばら、みな何かにとりつかれたように、ひた歩く。 まるで死者の行進のよう。


今のペースで制限時間には間に合っているのだろう。ただ、6時間のタイムリミットは、号砲からの経過時間となる。いまさら、自分が実際にスタートを切るまでの7分が気になる。

40km〜ゴールへ

最後は、スタート時に走った大学内の木々の中を再び走る。まあ、自分は歩くことしかできなかったが。いつもだったら、なんでもない2kmが果てしなく感じる。こんなに歩いたのだからもうすぐだろうという期待は、何度も何度も裏切られる。


そしてラスト。トラックに入るとすでにゴールした選手たちが応援の声をかけてくれる。あと少しだ、ひざは痛いけど、最後だけはと思って、走ってみる。 途中棄権しようと思っていたけど、どうにかたどりついた。 我ながらよくやったと思う。

記録証

ゼッケンを提示すると、その場で記録証を発行してくれる。ノートパソコンとインクジェットプリンタが10台以上並んでいる。ゼッケン番号を係りの人が入力すると該当の、選手名と記録、ネットタイムが印字される。記録は号砲からの計時、でネットタイムはRCチップがスタートを切ってからの計時。

レース後

着替えを終え、自分が帰る頃はすでに会場自体も撤収作業中だった。ファイテンのテントでは、無料マッサージをやっていて、自分も足をみてもらった。痛いところを言うと、そこを重点的に処置してくれる。


本音を言うと、ファイテンのチタン?の入ったテーピングの類はあまり信じていなかった。ただ、このとき処理してもらったひざまわりの調子が、自然治癒にしては回復具合が早いような気がしている。 やっぱり効果があるのかも。


あと、ショックなことが。買ったばかりのランニング用5本指ソックス(1700円もする)に、穴が開いていたこと。自分の、足のつめは特に親指が尖っているので、以前も靴下に穴があくことはあったが、まさか一発で穴があくとは。やっぱり、フルを走る負荷ってけっこうあるんだなと思った。

来年に向けて

42.195kmを走りきるには、1度でも、トレーニング時に50km走ればいいかなと思っている。あと、ウェストバックにしのばせる栄養補給の類は、3つは要ると思う。今回2個+アメでは足りなかった。


あと、デジカメも持って、レース中の自分を自分撮りして走ってみても面白いかも。


もしかして、今回完走できたのは、CW-Xでひざまわりをサポートしていたので、負荷がいくぶんやわらいだのかもしれない。(ちなみにCW-Xをレース当日に初めて履いた)


5kmごとにラップタイム記録しようと思っていたけど、明確な看板がなかった?(見逃しただけか?)りして記録できなかった。それよりも、今回10ラップ計測したはずのおいらのTIMEX iRONMANは8ラップまでしか記録できない仕様だった。

終わりに

人生の中でロードレースという楽しみがひとつ増えた。

おわり