peicozy's blog

マラソン、トライアスロン、ブルベの完走記と、日々思うこと

6年ぶり2度目 宮古島トライアスロン2017 完走記

初めてのロングは宮古島だった。島全体をめぐる旅のようなレースをしたのは6年前。毎年出たいと思いながら、翌年、翌々年とも抽選で外れた。

それから3年間海外駐在になり、日本から離れ、さらに宮古島が遠のいた。当選しても出れないからと、申し込みさえしなかった。

帰任したらまた出たいとずっと思ってた。あのお祭りにまた出たいと思ってた。

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12月末。当選通知がきた。うれしかった。6年前の自分を超えるんだ、と気合も入った。

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年末。体調を崩した。夜中に39度の熱。毎晩咳き込んだ。夜の熱は2週間近く続いた。ひどい咳はずっと続いた。体重が落ちた。ズボンがブカブカになった。

医者に行った。喘息と診断された。運動どころじゃなくなった。毎日ステロイドを吸うようにした。のどに刺激を与えないように、症状を抑えるように気をつかった。

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1月末。運動を再開した。ようやく走れるまで体が回復した。残り3ヶ月半。
自分の記録を越える以前に、完走できる体に戻すのが目標になった。

2月頭にハーフマラソンに出場した。1時間57分だった。2時間切れたことがうれしかった。5年前に1時間32分で走れた自分が信じられなかった。

2月中旬、30kmマラソンに出た。2時間46分だった。最後まで咳き込まずに走れたのがうれしかった。

3月下旬、ハーフマラソンに出場した。1時間40分だった。終盤のどが腫れぼったかったけど走りきれた。喘息はコントロールできている気がした。

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レース2日前 4月21日金曜日

朝4時過ぎに車で出発。羽田に向かう。自転車は10日前に宅配便で発送済だ。平日の早朝はトラックが多い。1時間ほどで羽田に到着した。6時過ぎ、町田トライアスロン連合の仲間と合流。初対面の仲間も居る。結局今回のメンバーと一度もいっしょに練習できなかったからだ。6時25分の羽田行きに乗る。まわりにはバイクを預け荷物としてチェックインする選手がちらほらいた。次回は直接持っていこう。

万世のトンカツサンドとビールをもって機内へ。ほぼ満席だったが奇跡的に隣席が空席だった。のんびり窓を見ながらうたたねをする。那覇空港に到着し、もう一本ビールを飲む。もちろんオリオンビールだ。

12時過ぎ、宮古島に到着。池田さんの計らいで、荷物は先にホテルへ送ってもらった。昼食は空港2回の食堂へ。宮古そばを食べる。うまい。

JTAドーム

選手受付に向かう。今年からJTAドームでの受付だ。空港から歩いていける距離にある。風が強かった。まだ選手はまばらだ。ドーム前にはいくつものショップが並んでいる、これから賑わいを増していくのだろう。選手受付をすませたあと、KONA-AMEの説明を聞いた。ジェルに頼らずにKONA-AME=マルトデキストリンを水と一緒にボトルにいれればそれだけでエネルギー補給になるというものだ。ずっとKONAはアイアンマンハワイのコナからとっているものと思ってた。粉飴をローマ字で表示したものなんだな。ゼッケン袋に試供品がはいってた500gも。レースで使ってみよう。

試走

タクシーでホテルへ向かった。ロビーには組み立てをまっている選手のバイクが所狭しと並んでいる。ダンボールやプラスチックケース、シーコンの専用バッグ等。1階の駐車スペースで組み立てをはじめる。レース前に皆でわいわい言いながら準備する感じが好きだ。フロアポンプやトルクレンチを貸しあいながら組み立てた。

大石さんのバイク箱は驚きの小ささだった。大きめのスーツケースくらいの大きさだ。本当にこんな中に納まるのかという大きさだ。

ホテルにチェックインし、岸人、大石、山本、北の4人で試走に向かった。土肥さんは休憩、池田さんはきっとどこかで酒を飲んでたんだと思う。別行動だ。伊良部大橋方面へ。初めて見る伊良部大橋は美しかった。橋の頂上で立ち止まり風を感じた。明後日のレース中には立ち止まることはない。レース中は贅沢な景色を見ながらひたすら漕ぐのだ。伊良部島に渡りコースをぐるりと巡った。途中コンビニに寄ってガリガリ君を食べた。60円だと思ったら140円もした。限定フレーバーは高いんだな。

透き通る海をみたら早くレースしたくなった。
わくわくしながらホテルに戻った。

ワイドーパーティー

再びJTAドームに向かう。選手用の連絡バスを待つが一台目は満員、しばらくして到着した2台目に乗車。JTA会場内は土足禁止。靴は各自ビニール袋にいれてもっていた。

成田さん、関さん、岡田さんらをみつけてあいさつ。オリオンビールも何本も飲んでいい気分になった。巨大なケーキは写真を撮ったけど、気づいたときには食べつくされてた。

ホテルに戻るバスを途中下車して池田さんの友人が待っている激励会に参加。レース当日の応援場所をお聞きしてこちらから声をかけることを約束。恒例のおとーり(=泡盛をまわしながら飲む儀式)は軽めに済んでホテルに戻る。

外は雨が降り出してた。
レース当日には止んでほしい。

レース前日4月22日土曜日

7時起床。納豆ご飯を食べる。普段平日の朝食はパンをかじって簡単にすませてしまうけれど、レース前はしっかり食べる。食べて体内にエネルギーを貯めておかないと当日エネルギー切れになってしまうからな。

午前中、レース準備。午後にバイク預託がある。バイクボトルを2本セット。補給のジェルをテープでフレームに貼り付けてみる。岸人さんからマスキングテープを借りた。何度もロングのレースに出ているので、かゆいところに手が届くアイテムをいくつも持っている。いつもはステムのバッグにジェルを詰め込んでたけど試しにフレームにつけてみた。雨は止みそうだ。道路は濡れている。

昼食は歩いてあぱらぎへ。皆は郷土料理を食べる中なんとなく焼肉定食を注文。たべたいものを食べるのがいいかなと思って。イカ墨汁を少しもらう。うまかった。

バイク預託

バイク預託に出発。スイム会場で試泳することを考えて水着で出発。試泳や試走用にトライウェアもうひとセットもってくればよかった。荷物を減らそうとして持ってこなかったのだ。

会場まで10kmほどのバイク。追い風であっという間に着く。バイクエリア入場時にマテリアルチェックあり。ボトル2本持っていない選手がチェックされていた。宿においてきちゃったという言い訳は通らなそうだ。

今晩も雨の予報。バイクはおのおの雨よけのレインカバーをかけられている。雨の中一晩過ごすのだ。自分はなにもかけずに置いてきた。スイム後濡れた体でバイクに乗るから同じだろう。

友人の田中さん、同じ会社の、森田さんと廣田さんをみつけて挨拶できた。
大会で再会できるのは楽しい。

スイム会場を視察してみる。涼しい。というか寒い。試泳はせずにホテルに戻ることにした。15時のバスに乗車する。

トランジションバッグ

白いバッグに、スイム→バイクの荷物を入れる。赤いバッグに、バイク→ランの荷物を入れる。緑のバッグにフィニッシュ時の荷物を入れる。

ちなみにIMレースの場合は、青いBlueのバッグにBIKEの荷物を入れる。赤いRedのバッグにRunの荷物を入れる。白いバッグはFinishの荷物だ。白いのは真っ白に燃え尽きるからだろうかと想像する。

はじめてロングトラに臨んだ6年前は注意深くそれぞれの荷物を準備していたけれど、今はなんとなく、頭の中で整理して準備できるようになった。経験によって、注意力を必要な場面で使えるようコントロールできるようになるので、消耗がおさえられるのかもな。なんて思った。

夕食

18時。ホテルにある居酒屋でメンバーと夕食。ビールも飲まず炭水化物ばかり摂った。別のグループの選手も同じ考えのようで、注文が殺到し料理が出るのが次第に遅くなっていった。腹8分目にしておき9時に就寝。今回は睡眠薬代わりのレスタミンを忘れた。薬にたよらなくてもすぐに眠りについていた。明日はレースだ。雨ふらないといいな。

大会の朝

3時起床。隣のベッドに寝ていた山本さんも起きたようだ。正確には起きていたようだ。山本さんの第一声は、

「やばい、、全然眠れなかった。でも一時間くらいはうとうとできたから大丈夫のはず」

山本さんは初ロングなのだ。緊張していたのかもしれない。スイムもバイクもぼくより速いから大丈夫だと思う。まずはご飯を食べましょうと食堂に向かう。いつもどおりの朝食を摂る。納豆とご飯といろんなおかずをすこしずつ。小ぶりのおにぎりも準備されていた。前日晩にコンビニでおにぎりを調達していたけど必要なかったな。

出発

4:40分市役所前から選手用のバスで出発。近くに宿泊している選手がわらわらと集まってくる。3つのトランジションバッグを抱えながらスイム会場に向かう。

5時に到着。まだ暗闇の中だ。宮古島の朝は遅い。日の出は6時過ぎだ。今回ヘッドライトを忘れてきた。手元はiPhoneのライトで照らして準備をすすめる。

バイクは昨日の雨で濡れていた。風もあったのでバイクカバーごと吹かれて元々吊るしていた位置からずれているバイクもあった。フロアポンプ前後7気圧にあげる。ポンプは大石さんに渡した。仲間内で道具を流用するのだ。

トイレへ出かける。受付テントの近くのトイレはまだ10人ほどしか並んでいない。トイレノ次は選手受付。腕に467番とマジックで書いてもらい、足首に巻く計測チップももらう。早朝からたくさんのボランティアの方々が活動している。本当にありがたい。ボランティアスタッフの名札には班の名前が書かれている。ボランティアといっても打ち合わせや確認作業がたくさんあっただろうな。頭がさがる。

喉が渇いた。飲み物を忘れたのでバイクラックに戻りセットしたボトルから一口飲む。ついでにおにぎりをもぐもぐする。ボトルには試供品でもらった粉飴を溶かしておいた。甘さは軽くごくごく飲めてしまう。

スイムエリアを視察しにいく。次第に明るくなってくる。東急リゾートホテルのロビーも選手と応援の家族や仲間がたくさんいる。ただ、どこかゆったりしているように感じる。トイレの2回目をホテル1階のトイレに並ぶ。なかなか進まない。大は2部屋しかなかったからだ。途中、小をしにきた池田さんに会う。思いのほかたくさん出てすっきりした。軽くなってよかった。

芝生の仲間のところへ戻りウェットを着る。もうすっかり明るくなっている。ワセリンを少しもらい、首回り、脇、股にぬっておく。久々のウェットスーツ。少しきつい。7年前に買った時から体格が良くなったのか、それとも素材が徐々に弾力を失ってきたのか。

さあ行こうとした時、山本さんが言う。

「やばい、スイムキャップがない、、、さっきまであったのに、やばい。」

顔は焦りの表情だ。トランジションバッグをひっくり返してみるとすぐに見つかった。直前で道具に不備があると焦る。気持ちはよくわかる。

ランバッグ、フィニッシュバッグを預ける。係りが次々とトラックに積みこんでいく。バイクバッグはスイムアップ直後のラックに自分で掛ける。自分は467番、仲間の岸人さんは466番。隣なのだ。宮古島のゼッケンは出身地別かつ五十音順なので、同じ東京都かつ「き」ではじまる苗字で隣になったのだ。近くに仲間がいるのは心強い。スイムアップした時にどちらが先かすぐにわかるし。

スイムチェックインする。係りの人が「一度チェックインすると戻れません」と何度も念入りにアナウンスしている。海は静かだ。波はわずかに感じた。試泳する。ウェットスーツの中によく水をいれておく。いまから8ヶ月前、珠洲で久々にウェットを着た時は水をいれておかなかったので泳ぎだしてから違和感があった。妙に水圧で圧迫されている気がして泳ぎづらかったのを思い出す。今回は念入りに水を浸透させておいた。

試泳を終え砂浜に戻る。ベージュの明るい砂浜だ。喉が渇いたので給水所で一杯の水をもらう。給水は選手が殺到してて係員がコップに入れる作業が間に合っていない感じだ。ジャグのうわぶたを開け直接くみ出している。

スタート直前。DJブースのアナウンスで当日誕生日の選手が紹介される。突然壇上に呼び出された誕生日の選手の一人は初ロングだと言っている。1500人に祝福されて嬉しいと言っていた。面白い。いよいよスタートが近づく。

スイム

7時きっかりの号砲。後方からゆっくりスタートした。それでも混んでいるが。スイムコースは第一ブイまで600メートル、そこから右に90度曲がり1700メートルまで海岸と並行して進み、鋭角にターンし3000メートルまでおよぐ三角形のコースだ。

とにかく最初のブイまでは混んでる。レース後、岸人さんいわく、

「前も後ろも右も左も混み合っててさ、手をかいても犬かきくらいしか伸ばせなかったよ。混みすぎてて、そのまま、まわりの人にかこまれて第一ブイまで運ばれたよ。」

ホントか!?

たしかに自分のまわりも混んでる。平泳ぎで前を見る。全身でのたうちまわるようにバタ足する選手が見えた。この人、スイム最後までいけるだろうか、と他人ながら少し心配になった。それくらい全身で泳いでいた。

宮古島は透明な海だ。綺麗だ。この美しさを言葉にするのは難しい。昨晩の強風でスイムできるか心配だった。今朝はおだやかになり、こうして3種目で開催されることにあらためて感謝する。

スイムはどこを向いても誰か居る。ひとりぼっちでない安心感もあるが、ひとりでのんびり泳ぎたい気もする。ひとりで泳いでいたら気持ちよくてレースのことを忘れてしまうかもしれない、それほど贅沢なスイム、贅沢な海なのだ。600メートルのブイで曲がったがあいかわらず混んでいる。どこまで集団なのだろう。

もともとスイムは遅い。が、ブイで曲がってからさらに遅くなった。潮流が向かいなのだろう。海底に目をむけると誰かのスイムキャップが沈んでいる。1600番台だ。バトルに巻き込まれたのか、こんなところでスイムキャップがとれて大丈夫だろうか。しだいに選手がまばらになってくる。

ロープを右手にみながら進む。時折距離表示の係員が浮きの上に立って居るのが見える。1700メートル。ようやく折り返しだ。

鋭角にまがり、右にロープを確認しつつ泳ぐ。左でブレスする。昇ってきた太陽が眩しい。まわりには選手がほとんどいなくなった。透き通る海の上を泳ぐ。プールで泳いでいるかのように錯覚する。

海底が近くなったようだ、底が浅い、もちろん足がつく深さではない。1800の表示を見た後、あと1200だけか、すぐだなと思う。

2500メートルの表示をみる。あと500だ。もう少しと思ったら岸についていた。最後の500メートルはあっけなく終わった。浅くなり立ってみた。足場は岩で滑りそう、なにより怪我しそうでそろそろと進む。

砂浜にあがり、ゴーグル、キャップをはずす。上着をぬぐ。シャワーを軽くあびトランジションバッグをとる。となりにかけていたはずの岸人さんのバッグはない。当然先に行っている。

着替えテントには入らず、芝生の上で着替える。バイクラックに向かう成田さんにみつけてもらいあいさつする。うれしい。

バイクシューズのままカツカツと歩く。途中トイレ待ちしている池田さんを見かける。バイクトランジットは一方通行になっていない。厳密にいうとバイクをかけている位置によって距離に差がでるレイアウトになっている。ラックには200万円近いバイクが残っていたりする。

乗車位置までバイクを押し飛び乗る。まわりの声援が嬉しい。リゾートホテルの敷地から公道に出る。バイクスタートしたぜと改めて思う。


スイム 1時間22分38秒
スイム順 1266位

バイク

バイクスタート。風を感じる。さっきまで濡れていた体が乾いていくのがわかる。沿道からの応援。自宅の先に椅子を出して手をふり、旗を振り、太鼓を叩いて応援してくれている。ありがたい。

伊良部

左に折れ、伊良部大橋に入る。前回2011年にぼくが初めて出場したときには伊良部大橋は架かっていない。2015年1月31日開通。全長3540メートル。その年から宮古島トラのコースになっている。今年で3度目ということになる。

「風が強いから気をつけたほうがいい。」
と、経験済みの岸人さんから聞いていた。

さらに、「前は雨で路面が滑り、横風にあおられて橋の継ぎ目の鉄板で転倒している選手もいたからね」
という。今日は晴れているけど、それでも気をつけよう。

橋のたもとにカメラマンが見えた。島をぐるりとまわったあと復路にカメラマンがいる。橋と海と青空をバックにかっこよく写真におさまるのだ。前後の選手との間隔を調整して一人で写れるようにしよう。なんてことを考えながら漕ぐ。

前方から女性アスリートが向かってくる。アメリカ人だろうか。すでに伊良部島を一周し戻ってくるのだ。速い。肩と腕には日よけ用の丈の短いジャケットを羽織り、エアロバーをにぎり口元は微笑んでいるようにもみえる。向かっていくると胸元が強調されて美しい。つい見とれてしまった。

かっこいいな。こちらはまだ13.5km地点。向こうは34.5km地点。21km先ということになる。30分以上先にいる。こんな風に、選手とすれ違える橋は楽しい。

伊良部島をぐるりとまわり、島後半のだらだら続く登りを越え、一昨日の試走の時立ち寄ったコンビニの前を通る。今日は休むわけにはいかないな。

くだり坂の先、左前方に美しい伊良部大橋が再び見えた。

船が橋の下を通れるように、橋には勾配がついている。橋の横からながめるとローラーコースターの一部のようにもみえる。橋の頂上に向かってバイクが並んでいる姿は、まるでスペースマウンテンのコースターがカタカタとカタパルトを登って、発射位置に向かっているようだ。

橋のたもとの撮影ポイントに近づく。前に追い越せそうな選手がいるがあえてスピードを緩めて一定距離を保つ。写真映りのために距離を保つ。そうこうしているうちに後ろから抜かれる。撮影ポイントに到着した時は結局まわりに沢山の選手がいて単独で写れる状態ではなくなっていた。まあこんなもんだ。

ここまであっという間に40kmの距離を漕いでいる。残り100kmと少しだ。疲れは感じてない。バイクは余裕かもしれない。スピードは速くないけど。伊良部島を後にする。こんな素敵な景色を置いて行くの少しもったいなく感じる。

下り坂だ。激励会をしてもらった居酒屋の前を通る。6年前泊まったホテルの前も通り過ぎる。スピードに乗ってあっというまに通り過ぎる。

そろそろボトルが空になりそうだ。インド駐在中に買ったキャノンデールのボトル。樹脂が柔らかすぎず硬すぎずちょうどよくて重宝してた。飲みきったあと捨てるか、残すか迷う。結局捨てることにする。立ち止まって中身を入れ替えることもできるけど、ちょっと、いや、かなり時間をロスしてもったいない。エイドに近づく。フットサルのゴールのようなネットめがけて空ボトルを投げ込む。続いて大会ボトルを受け取る。中学生が、しっかりと確実に渡してくれる。ありがたい。バイクがビュンビュン通り過ぎる中の作業は怖いだろうな。大会ボトルは開催回数はプリントされていない。ここ数年間同じデザインのようだ。バイクは155km、伊良部島もまだ描かれていない。

池間島の手前。東寄りの風だ。橋の両わきに等間隔で立った大漁旗がはためいている。以前は池間大橋がバイクパートの一番の撮影ポイントだったがその座は伊良部大橋にうつった。池間大橋ももちろん美しいが伊良部大橋のほうが映える。ホテルの居酒屋にも伊良部大橋の美しい写真が観光ポスターになって貼られてたっけ。橋を渡る。必死に漕ぐのをやめ、上体をおこして横を向く、エメラルドに輝く海をながめる。幸せな時間が過ぎる。

池間島をまわり再び橋を通るとき池田さんにすれ違う。声をかけそこねた。むこうはこちらに気づいていない。

粉飴を溶かしたボトルから水分と栄養をとる。ボトルを強く押す。同時にバキッいう音。割れた。持参したボトルが割れてしまった。亀裂が入ったボトルからドリンクが染み出す。粉飴いりのボトルはベタベタになっていく。こぼれるのがもったいない。できるだけ飲み干す。次のエイドで捨てて大会ボトルを手に入れた。あとは大会ボトルを使い回すだけだ。大会ボトルは2本になった。そういえば選手が投げ捨てた普通のボトルはどうするんだろうな。捨てちゃうのかな。

60km地点

計時。中間計時を踏む。60km地点だ。マットを通りすぎた瞬間に右足首にまいたチップがセンサーに反応する。即座にゼッケン番号と時刻がコンピュータに刻まれる。インターネットを介して刻まれたデータが配信される。遠くの友達がスマートフォン越しにぼくの通過時刻を見る。果てしなく続くアスファルトにデジタル情報が投影されたような状況を思い描きながら漕いだ。ただ通過時刻が表示されているだけなのに、ただ数字の並びを見せているだけなのに、前に進んでるぞ、俺は生きているぞ、と遠くの友達に伝えているような気がした。

喘息

喉が腫れぼったく感じてきた。ここ3ヶ月は咳き込むことはなかったけど症状が出るのが怖い。トライウェアの背中にスプレー式の喘息薬メプチンを入れてある。エアロバーと握りながら薬を取り出し、シュッと喉に当てる。こころなしか腫れぼったさが収まった気がする。プラシーボかもしれないが落ち着いた。喘息は発作が起きてからでは遅いのだ。とにかく刺激を与えないようにして発作を出ないようにコントロールするのが喘息治療なのだ。常に小さな炎が出ているけれど、それが大きな火事にならないようにするのだ。

90km地点

まだ、90km地点だ。長い。40km通過のときは余裕だと思っていた自分が恨めしい。長い。この先まだ60km以上あるのか、、、長い。陽は高くなり暑くなってきた。近年のトライウェアは肘近くまであるものが多い。日焼けが体におよぼすダメージを減らすためだ。素材も格段によくなっているので着心地がよいのだろう。試してみたい。自分のウェアはタンクトップ型だ。肩に日差しがあたってよく焼けそうだ。バイクスタートで日焼け止めを塗るのを忘れた。そもそも日焼け止めを持ってくるのを忘れたのだ。肩は出てしまうが、アームカバーをするか迷ってた。写真に写るときアームカバーが無いほうがかっこいいと思ってつけなかった。

補給

補給食のジェルは30分おきに1本摂るようにしてる。背中から取り出し、エアロバーの前で両手で蓋をねじ開ける。蓋は左手に持ち、右手でぎゅっとジェルを押し出し飲み込む。もったいないので最後まで押し出そうとするけど、残りわずかな歯磨きチューブと同じで出し切れない。少し残った状態で蓋を締め、ステムに取り付けたバッグに戻す。きれいに飲めないのでまわりはベタベタになってる。

今回は、shotsの各フレーバーを1本づつ持ってきた。コーラやコーヒーのフレーバーが面白かった。パッケージをよく見ずに飲み込む。口内に香りが広がったあと、おおっ、コーヒー味じゃん。と感動する。なんだかソファーでゆったりとコーヒーを飲んでいる気分になる。。。。(なんてことはないけど)

145km

2週目の案内版だ。遠いな。こちらはまだ1週目だ。三角形をした宮古島伊良部島をめぐったあと島の北側の一部が2週目になっいる。宮古島は3kmスイム、157kmバイク、42kmラン。アイアンマンのロングはそれに、スイム0.8km足して3.8km、バイクを23km足して180kmになっている。自分はアイアンマンはケアンズしか出ていないけど、宮古島のように坂が少なく平らではなかった。すごくきついイメージがある。スイム0.8kmとバイクに23km足されただけなのに、別の競技なんじゃないかと思うくらいだった。今の体力でアイアンマンディスタンスはきついだろうな、そんな風に思いながら漕いでた。

バナナ

ジェルに飽きた。エイドでバナナをもらう。30分おきに摂ってたジェルは一回休みにしてバナナを食べる。ついでに停車してコーラ入りのボトルをもらう。ジェル以外にカロリーメイトも持ってきてた。どこでも手に入る手軽さがある。カロリーメイトはぱさぱさして食べづらい。口に放り込んでから水で胃袋に流し込む。何より包みを破きづらいのが面倒だな。

東平安崎

ひがしへんなざき。島の右下にある岬だ。バイクコースはここから島の南側のアップダウンが続くルートになる。一番好きな区間だ。岬に向かう道は砂漠色をして少し荒れている。折り返してくる選手とすれ違い楽しい。エアロポジションをやめ上体を起こして景色を見ながら進む。風を感じて気持ちいい。6年前はじめて来たとき普通に景色を見に来たいなと思ってた。けどまた今回もレース中に眺めるだけになってた。それでも楽しい。

島の南側はアップダウンが続く。今シーズン長いバイク練習はできなかったけど家から近い城山湖に上ったのを思い出す。城山湖に向かうきつい坂に比べると宮古島のどの坂もゆるやかに感じた。決して体力がついたわけじゃなくて、ただ経験がそう思わせてるだけだと思うけど、ゆるかやに感じた。レースのような長い時間練習はできないけど、短くてもきつい練習が効果があるんじゃないかな。

レース中は色んなことを思い出す。今朝からまる一日かけてレースしている。目の前に広がる美しい景色と、トレーニングしてたときに見た自分の景色が重なる。レースは半日だけど、それまでに積み上げてきた数ヶ月間が思い出されていく。だからレースがより長い旅のように感じるんじゃないかな。この数ヶ月の長い長い旅を思い出しながら、いままさに次のページを作っている感じが楽しいんだ。

断崖

左手に断崖がみえる。ムイガー断崖だ。その先に海。もったいないほどの景色。疲れているけど疲れを忘れさせる景色。アップダウンは続く。あとで気づいたが6年前とコースが変わっている。以前は、島の南側の上りがきつかったけど、ゆるやかになってる。

途中リゾート施設に向かうロープウェーを見かけた。シギラリゾートのリフトだ。楽しそうだな。バイクで島を巡ってるけど立ち止まらない。素敵な場所がたくさんある。もう何泊かしたいな。

向かい風

来間島に向かう橋をわたりUターンすると向かい風だ。北に向かう道。風がほぼ正面から吹いてくる。前の選手は速度が落ち近くなるけどこちらも抜けるほど元気はない。ドラフティングにならないように注意して漕ぐ。あとで聞いたが今年はとくにドラフティングチェックが厳しかったらしい。たくさんのマーシャルがバイクで回ってたのを思い出す。

抜きつ抜かれつ

長いすらっとした脚。けっしてエアロポジションを崩さない姿勢。日焼け防止の白いジャケット。見ていてかっこいい女性アスリートが前を行く。彼女は平地がめっぽう強いようだ。平地になると抜かれる。一方登りは自分のほうが強い。彼女は急にペースダウンし、僕が追いつき抜いていく。いつのまにかその選手と抜きつ抜かれつになってた。

2週目も終盤、残り7kmの表示。手元のGARMINはバイクパートで5時間45分かかっていることを知らせる。頑張れば6時間切れるかな。いや切りたいな。最後は駆け抜けたい、ランのことはランを走りだしてから考える。速度を上げる。さきほど抜きつ抜かれつした彼女を平地で置いて行く。決して速くないけどバイク5時間台で帰りたい。残り2分か、バイクフィニッシュはまだ見えない、それにトランジションタイムも含めるととても5時間台で終わりそうもない。

T2についた時は6時間を回っていた。けど、最後は精一杯漕いで楽しかった。もっとはじめから強度をあげて漕げたかもしれないけど。強度あげていたら、その後のランでつかう筋肉もダメージをうけて走れなかっただろう。

T2のテントでひとりの選手が椅子にすわってた。ドラフティング違反をとられたのだろう。3分じっとしてる必要がある。

バイクを自分でラックにかける。荷物をもらいカタカタとあるく。シューズの中はゆるい。もうひとさいず小さめのシューズでもよかったかもな。それでもバイクシューズをぬいで解放されて気持ちよかった。

着替えテントには入らずアスファルトの上に座り着替える。いい天気だ。のんびりしてしまいそう。ジャージの背中からジェルの空き容器を取り出す。べたべただ。ランシューズに履き替えトイレへ。待ち行列はなし。鍵をかけずに用を足してたら次の選手が、ガチャリと扉をあけた。あせって少し手にかかる、が、ほぼ水のようだった。

バイクグッズは係員にあずける。捨てそこねたゴミも手渡した。ありがとう。すこしのんびりしすぎたかな。とっとと着替えて走りだしたいのは山々だけど、そんなにテキパキできるほど体力は余ってない。

バイク 
バイクタイム 6時間03分25秒  882位
トータル 7時間26分03秒 通過順位 1034位

ラン

スタート直後のエイドでアクエリアスを少しもらう。走り出してすぐ声をかけられた。左を見ると廣田さんだ。おかしいな、いっしょに朝レースに出てたのになんでここにいるんだ!?

「ど、、どうしたんですか?」
ときくと
「スイムで、きられちゃったよ」
との返事。

その時は、スイムで何かトラブルがあってタイムアウトで足きりになったのだと思ってた。後日聞くとバイク用のマテリアルをランバッグに入れてしまったのだとか。スイムあがってバイクスタートしようとしたときには後の祭りだ。バイクメットがない状態でスタートは認められなかったのだろう、、、。トランジションバッグの入れ間違い。自分も気をつけねば。

手を振り挨拶して先に進んだ。

トップ

先導車に続いてトップ選手が帰ってくる。44歳ニュージーランドのキャメロンブラウン選手だ。アイアンマンシリーズで12回の優勝経験がある。自分と1歳差のアスリートがトップで帰ってくる。今まで積み重ねてきたものがまったく違うけれど、同じ年代の選手の活躍を見ると、自分もまだ速くなれるんだって思いうれしくなる。

その後もすれ違うには外国人選手だ。トップ6まで外国人だった。

足取り

6分/kmくらいのペースで進む。思いのほか脚は動く。大通りに出る。6年前に初めて出た宮古島を思い出す。日陰がなく、ずっと遠くまで続く道だ。沿道の声援がうれしい。ボランティアで、野球少年やサッカー少年が同じクラブの仲間といっしょにスポンジを渡してくれる。

カントリー風の居酒屋の店先で、ライブ演奏しているグループがあった。女性がボーカルのようだ。そのボーカルの女性と目があった。きれいだった。歌いながらがんばってというように手をふる。こちらも片手をあげて返す。

山本さん

追い抜いた瞬間後ろから声をかけられる。今回、同室の山本さんだ。今回初ロング。

せっかくGPSつきの腕時計なのにOFFのまま走っちゃったよとハプニングを話してくれた。それ以外も、たっぷりジェルん入ったフラスクをバイク序盤で落としたとか、スイムではゴーグルに水が入って何度も止まったとか、話してくれた。

自分がエイドで立ち止まったときに、抜かれ、そのあと抜き返した。先に行っていますね。

岸人さん

2011年に、宮古島が同じ初ロングだった岸人さんに追いついた。今回宮古島は4度目だ。いつもランでつぶれて4時間台で走ったことがないと言っている。

「ああ、、ここで抜かれたかぁ」

との第一声だった。マラソンだけならめちゃくちゃ速いのに不思議だ。先に行ってますね。

靴紐

左足になんだか当たるものがある。ふと見るとシューズの紐がほどけてた。それまでペースが似ている900番台の選手と併走していたのだが、ぴたりと立ち止まるとはっと少し驚いた様子だった。歩道に寄って靴紐を結びなおす、解けないようように2重に結んだ。先ほどの選手の背中が見える。自分のほうがほんの少しだけペースが速いようだ、追いつき、そして追い抜いた。

田中さん

靴紐を結び終え、走り出すと復路を行く田中さんをみつける。さすが速い。
歩いていたので、「大丈夫ですか?」と声をかけたら、すこし苦笑いしながら「大丈夫」との返事。かっこいいな。

エイド

エイドはすべて立ち止まってしっかり補給する。レモンをかじり、黒糖をくちに放り込み、わしづかみにした氷をトライウェアのポケットに入れる。体温が上がりすぎないように気をつける。できるだけ体を冷ますように努める。今日は氷水をかぶるほど暑くない。風がきもちいい。でも、バイクが速い人は日差しがきついうちにランを走っているのだと思う。自分はバイクが遅いので、日差しが徐々にゆるくなってきているのだ。コーラやアクエリアスを一口ずつ飲んでいく。終盤はあたたかいお茶を飲むとほっとする。エネルギーというより、気分で決めている。

成田さん

復路を走る黄色いウェアをみつけた。ニッコニコだ。中国駐在中でも元気いっぱいだな。こちらも元気をもらう。

下り坂

下り坂だ。2011年に初めて宮古島大会に出た時のことを思い出す。こんなに下らなくていいのにと思いながら走ったっけ。当時とても急な坂だった記憶があったけれど、今日の下り坂はこんなにゆるかったっけと思う。記憶はあいまいだ。もしくは経験がそう感じさせているだけかもしれない。その先さらに下る坂が現れた。あ、これだとあらためて思い出す。復路の選手のうち3分の一は歩いている感じだ。自分は走って戻れるだろうか。

大石さん

折り返し手前、復路を行く大石さんにすれ違う。速いな、さすがだな。6kmくらい先だ。とても追いつけそうもないや。BMCのTTバイクを一ヶ月前に納車したって言ってたっけ。

いつもさわやか笑顔。そして女性の顔を忘れない特技を持つ。

伴走者

ランの折り返し手前、目の不自由な選手が伴走者と一緒に走っていた。伴走者は細かに選手に状況を伝える、「100m先の登り坂、30m上ります」、選手も伴走者もすごいな。自分は何をやってんだろうと思う。自分は精一杯やったのか?たまには全力でやらないと自分の限界がわからないじゃないか?と、いつのまにか自分に問いかけていた。

折り返し

いつのまにか折り返しまで走っていた。21km。なんとなく歩こうとか思わなかった。どこまで走れるだろうか。どこまでいけるか。

時計を見る。スタートから9時間45分経過。残りはハーフマラソン1本分だ。2時間15分で走れればサブ12。12時間を切れる。2011年の記録は11時間54分だった。

いけるのか?自分。

3月末の熊谷ハーフマラソンは1時間40分だ。フレッシュな体だったら雑作もない。働かない頭で計算する。キロ6分なら2時間6分か、キロ7分ならプラス21分になるかから、2時間27分になる、キロ7分では遅いのか。キロ7分がひどく高い目標に思える。いけるのか?

そんなことを考えながら折り返した。

写真

折り返しポイント。以前ここで写真だったっけ。思い出す。いつもの警察官の人形。まもる訓だ。そういえば、エクスポでTシャツも売られてたっけ。折り返して左側にカメラ、その先にエイドがある。しっかり補給してリスタートだ。いけるとこまで。

淡々と

脚ととめないで進む。復路は基本的に登り基調だ。遠くに見えるエイドを目標にヒタヒタと走る。止まるのはエイドだけだ。暑かったら氷、寒かったらお茶を口に入れる。むしゃむしゃ食べるほどおなかがすいてはいない。黒糖を口に放り込み、再びヒタヒタと進む。この果てしない感じが好きだ。

止まらない選手

外国人選手に抜かれた。女性アスリートだ。止まららず淡々と行く。しばらく背中をみていたと思ったのに、いつのまにか見えなくなってしまった。すごいな。ヒタヒタ走ってみてもとても追いつけないや。

Onの人

往路を歩いてるのを見つける。名前が出てこない。Onの人ガンバです!と声をかけた。おうっと右手をあげて答えてくれた。制限時間いっぱいで完走したようだ。よかった。

おなか

さっきまで、エネルギーは十分だと思っていたのに、おなかがすいた気がする。ついでに、おなかにガスが溜まってきたのか、走る振動にあわせて、パスパスとガスがでる。マンガみたいに推進力になってくれればいいのに、なんてくだらないことを思う。まだ走れてる。

陽がかたむいてくる。エイドのボランティアから元気をもらう、沿道でずっと手をふる人に元気をもらう、あまり余裕はないけれど、にこりと返したほうが、なんだか、ずっと、元気になる。

坂道

上り坂だ。往路で下った道。歩かないと決めた。つもり。大丈夫だ。脚が攣ったら走るのをやめよう。それが限界。それまでは走り続けてみる。運よく攣らずに登りきれる。

再びのどがはれぼったいきがした。ウェアの背中から喘息薬のメプチンをを取り出して吸い込む。レース終えて数日後、医者に行った。レース中に何度も薬を吸ったことを伝えたら、心臓バクバクしなかったか?大丈夫だったか?と聞かれた。副作用で動悸や手の痺れが起きるようだ。喘息薬の副作用で心臓バクバクしたらパフォーマンスよくなるんじゃないのか?これじゃドーピングじゃないか。なんてひとり笑った。

もうだめかも

エイドで立ち止まって補給する時間も含めると、キロ7分近くなってた。もうサブ12には間に合わないかもしれない。30km地点までは走ろう。2月に青梅マラソンで走った距離だ。喘息になってからも、この距離までは走れることを証明済みの距離だ。

30km地点になった。歩き出す。どれだけ歩いて、どれだけ走ろうか、そんな計算もせずに歩き出す。ここから少しペースアップして、キロ6分でいけば、まだサブ12いけるぜ。ともう一人の自分が言い出す。歩いていても、あたたかい声援をもらう。ぐっと小さくガッツポーズをして進む。ありがとう。ありがとう。

たたみ

畳に自分の名前が書いてあるのを見つけた。ありがたい。温かい応援。6年前もこうして応援してもらったんだ。もう何時間もまっていてくれただろう。ありがとうとなんどもいいながら写真を撮る。もう脚が残っていないけど、行ってきます。ありがとう。

歩いたり走ったり

歩いて抜かれて、再び走り出して追いつく。それでも併走というのだろうか、そんなことを何度か繰り返してた選手がいた。その選手は一定のペースで走る。自分は歩いたり、走ったりしてる。何度か抜きつ抜かれつしていたけど、追いつかなくなった。走り続けているひとには追いつかないのだ。

残り7km

歩いたり、走ったりしていて、残り7kmになった。時計を見る。6分切るペースで行けば、まだサブ12いけるんじゃないか。と淡い期待を抱く。少しペースアップしてみる。脚は正直だった。無理だな。ペースを戻す。

35km

後ろから声をかけられた。にこやかに笑う大石さんだった。いつの間に抜いたのだろう。驚いた。自分が往路を走っている時に、復路ではるか先を走っていたので、とても追いつけないと思っていた。いつのまにか抜いていたようだ。先に行かせてもらう。あと少し。がんばりましょう。

大通りから左折

夕暮れの大通り。6年前池田さんに追いつかれた場所だ。今日はいない。バイクでタイムオーバーになりT2でリタイアになった。しゃべりだしたら止まらないのだ。アルコール燃料で生きている楽しい人なのだ。来年が宮古島に出れる最後の歳になる。またいっしょに出て、ゴールで出迎えたいな。そんな風に思った。

歩いたり走ったり

右手は消防署、制服を着た署員が応援してくれる。仲間も選手として出場しているのだろう。左手を行く選手が知人差し出すビールに答えてる。ほんとに一杯飲んでる。すごい。街に戻るにつれ、しだいに声援が増え、にぎやかになっていく。こちらもできるだけ歩かずに行く、がんばるのだ。
ふと、ペースダウンしたところ、沿道に目をむけると金曜日に激例会で応援してもらった坂口さんだった。「あと少しですよ、がんばって!」と元気をもらう。うれしそうだ。こちらもうれしい

のど

陽はかげり、街の明かりがぼんやりと道を照らす。あと少しなのに、のどが腫れそうな感じがする。ふたたびメプチンを取り出し吸い込む。あと少し。あと少し。

最後

競技場に着いた。まだ脚は動いている。本当はもっといけたんじゃないか?と欲張りな自分が言う。空はまだギリギリ明るい。競技場の入り口で池田さんから町田トライアスロン連合の旗をもらう。途中計時では大石さんが前だったので、最初に戻ってきたのが自分だったので池田さんは驚いた様子。久々のロングをかみしめながらフィニッシュゲートをくぐる。ありがとう。

総合 12時間9分50秒
順位 626位

スイム 1時間22分38秒 1266位
バイク 6時間03分25秒 882位
スイム&バイク 7時間26分03秒 1034位
ラン  4時間43分47秒 396位

フィナーレ

露天が沢山並ぶ。お祭りのようだ。トップがゴールしてからすでに4時間以上だもんな。そりゃそうだ。

芝生に座る。ビールがしみる。宮古そばをすすってみる、ジェルで味覚がおかしくなったのか味を感じにくい。

6年ぶり2度目の宮古島大会。そして4年ぶりのロング完走。楽しかった記憶だけが残る。また出たいな。

10年前

「へとへとになったらどんな気分なのだろう」と思ってはじめたトライアスロン
いつの間にか、ちょっとやそっとじゃヘトヘトにならない体が手に入った。

東京に戻り、日焼けした顔で会社に行くと、完走したんですねすごいですねって言われる。
けれど、別にすごくない、誰でもできると思う。
ぼくは人生を楽しむためにこれからもトライアスロンを続けようと思う。

おわり