peicozy's blog

マラソン、トライアスロン、ブルベの完走記と、日々思うこと

ロングロングライド320km

海の日の3連休の土日を使ってロングライドに行ってきた。
町田トライアスロン連合の仲間といっしょに、バイク9台、サポートカー1台のロングライド。バイクはひとりで漕いだことしかないので、集団で走るのははじめて。ましてや1泊をはさんで100km越えを2日間連続で走るのもはじめてだった。


正直、320kmという距離を聞いてビビッていた。脚に疲労を残したまま出発したら完走もままならないと思って、出発前の1週間はランもスイムも含めて完全にトレーニングなしにした。まるで大会前のようだ。ビビりに拍車をかけたのはルートラボで調べた標高だった。160kmの行程で150kmほど多少はアップダウンはあるにせよほぼ平坦。そこから宿泊先の山荘まで一気に駆け上るコースなのだ。


これは、ペース配分しっかりやらないと大変なことになるな。と思って金曜の晩眠りについた。窓が明るくなってくるころ、右足のふくらはぎがピキンと攣る痛みで目が覚めた。
大丈夫なのか、オレ。

集合

橋本パークホテルに7時集合だ。ゴミだしやら食器なんやら家事をどたばたしてたら家をでるのが結局6時45分になってしまった。dauterのナップサックを背負って漕ぎ出す。朝だけどすでに照りつける日差し。暑くなりそう。

パークホテルには、すでに佐藤さん、高浦さん、三澤さんが到着していた。ホテル前に停めてあるのは池田さんのクルマだ。サポートカーとなる池田さんのクルマにナップサックを預けた。しばらくすると岸人さん到着「迷った」と笑っていた。池田さん号を置いて7:20出発した。先導は佐藤さんだ。44年前の記憶を頼りに。。。

44年前とは

佐藤さんは44年前、福島の原発もまだ稼動していないころ、もちろん上信越道もない、マウンテンバイクもない頃、友達から借りたサイクリング車で今回の目的地である佐久まで行ったのだ。しかも単独で。


当時を振り返って佐藤さんは言う、自転車の知識はまるでなかったね。パンクしたり、メカが故障するなんて知る由もなかった。友達にサイクリング車(今でいうとフラットバーの自転車)を借りたのでおばちゃんの家がある佐久まで行ってみようとふと思ったんだ。


朝の5時に町田を出たのだけど、途中で暗くなっちゃたんだ、ちょっと休もうと民家によって電気を(明かりを)借してほしいって言ったら、ランプ暮らしだから電気はないよって言われたよ。


夜にひとり峠を自転車漕いだりしてたら頭おかしい人に思われちゃったよ。舗装もしていないのぼりでは押してあがるしかなかったけどね。


結局おばちゃんちには夜の10時過ぎに到着したそうだ。もちろんコンビニだってなかった時代だ。すごい。

いつもの道を仲間と走る

44年前とは何もかも変わった新しいルートを片手にした佐藤さんを先頭に漕ぎ出した。いつもと同じ町田街道だけど、仲間と走ると違った風景に感じる。楽しい。


人の後ろにぴたりとついて走ると、まるで部屋の中でローラー台に乗っているかのようだ。本当に楽だ。巡航30kmでスピードが落ちないのだ。

福生のコンビニ

16号に出て横田基地が見えるセブンイレブンで休憩した。待ち合わせ場所を別にしていたAチームに電話するとすでにR30の入り口に着いているという。Aチームはハイペースのメンバーばかりだからな、、といいながら我々も先を急いだ。

待ち合わせまでに50km

飯能市内を何度か折れ曲がり、県道30号の入口に着いた。日影のない交差点で、井口さんやエリック、本橋さんの姿が見えた。時を同じくしてサポートカーの池田さんも到着した。図ったかのようなジャストタイミングだった。池田さんはハムストリングの調子が悪いので、サポートカーを交代して運転するつもりだったけど、無理そうだと話していた。
坂内さんも到着し、9台のバイクがそろった。ロード8、坂内さんのTTバイク1、そして井口さんのMTB1台だ。井口さんはもちろんロードも持っているけど佐渡トラで使う以外は通勤も含めてほとんどMTBなのだとか。先日の昭和記念のマーシャルもくるくつ100km近くMTBで走っているのだ。今回もトータル320kmの行程をMTBで行くのだ。すごい。そもそもロードと同じペースで走れることがすごい。

井口さんが、佐藤さんのペースでゆっくり行きましょうと言っていた。暑い中集団がちぎれて消耗することを懸念したのだろう。


そうは言ってもまとまりがない町トラ。はじめから
ちりじりと出発となった。ますはR30を北上だ。


サイコンをみるとすでに50km走っていた。あと110km。先は長いぞ

とにかく休憩

1時間ほど走った。気温は35度近くまで上がった。次のコンビニで休憩しましょうと声を掛け合ったものの、なかなかコンビニが現れてこない。


しかたなく、飲み物が手に入るドラッグストアセイムスで休憩とした。すでに太陽は頭上にあり日影が少ない。2リットルの水を買ってシェアしたり、コーラ一気に飲んだりそれぞれ小休止だ。


池田さんは先行して昼食でよさそうなところを探してくれているはずだ。


セイムスを後にし、ほんの5分もたたないうちにコンビニが現れた。まあそんなこともある。

昼食はうなぎ?

県道30号から国道254に向かう手前。サポートカーが停車していた。うなぎ屋の前だ。時刻は11時半。やや早いけど昼食にするか、もう少し進むかで意見が別れた。結局、昼食前になるべく距離を伸ばしておきたいということになり、うなぎの昼食はお流れとなった。あとで池田さんが言っていた、うなぎのが1100円で食べらると聞いたけど、店頭のおしな書きみたら2100円〜だった。ちょっと昼飯にしては高いよね、お流れになってよかったかも。


たしかに、宿代3000円の合宿なのに、昼食で2000円っていうのはないな(笑)

ギヤ

人の後ろを走っていて気づいたことがある。あたりまえだけど、ギヤの使い方に自分と違いがあるだ。同じスピードで漕いでいるのだけど、インナーギヤのまま引っ張ってそのままクルクルまわしていたり、重いギヤのまま踏み込んでいたり。きっと正解はないのだけど、それぞれ走り方が違うのだなと思った。ギヤではないけど、エリックは右足が外側にガニ股にひろがるのだ。聞いたらクリートを外すときのひねりが癖になているのだとか。なるほどね。

松の木食堂

荒川の橋の手前、松の木食堂で昼食となった。先行した池田さんが事前に店の状況をチェックした上での昼食だった。


10人がゾロゾロ入っても十分のスペースがあった。カレー、カツ丼、チャーハン、とんかつ、そして漕いでいなくても暑さで消耗している池田さんは天丼をもりもり食べてた(笑)。


テーブルには瓶ビールがすでに数本カラだ。ここまで往路約半分、暑さですっかり乾いた喉をうるおした。


松の木食堂は荒川にかかる橋のたもとにある。
店内にはおそらく出来た当時の店写真なのだろう、すっかりセピア色になった当時の店が飾られていた。


荒川にザブンと入って、ほてった体を冷やして出発したかった。代わりに店内のセルフサービスの冷水機でゴクゴク水分をとった。あまりに冷水器をつかいすぎたせいか、4杯めをつぎにいったらお湯が出てきた。我々は冷水を飲み尽くしたのか。

炎天下

とにかく暑い。信号で止まると暑い。漕いで風を受けるほうが断然涼しい。北上する県道30号はすでに終え、ほぼ真西に向かう国道254を進む。


これから西に傾いて行く太陽に向かって突き進む。夕方まで照る強い西日に真正面から挑む。ヘルメットごしの頭も、アームカバーを巻いた腕も、むきだしの腿もジリジリ焼かれながら進んだ。


正直言って、どんなルートでどんな景気だったかあまり覚えていない。ただひたすら前を行く仲間のタイヤと地面をみ続けていた。一種のフロー状態だったかもしれない。

元アホ?

14:10 106km

コンビニで休憩だ、交差点をみると元阿呆って書いてある。「元アホ」か、こんな暑い中、いつ着くとも知れずに漕いでいるおいらは「今アホ」だな、と思った。ちなみに元阿呆はもとあぼと読むらしい。

セブンイレブン

15:10 121km
陽が傾いてきた気がする。気のせいか。
サポートカーも冷房つけずに併走してきてくれている。もちろん同じようにアイスも食べる。地図をひろげてのこりの距離を確認する。30kmくらい?40kmくらい?

荒船の湯

ちょうど売店(閉まっていたけど)があったので休憩。自動販売機でコーラを飲む。売店脇に水道でボトルに入れなおす。陽はかなり傾いてきている。


売店に到達した岸人さんだったが、そのままビンディングをはずしきれずに砂利の中へ立ちゴケ。相当脚にきている。自分も含めて。


標高900mの看板。下りて自転車と一緒に写真をとろうと思ったけど、いちど自転車から降りたら再び漕ぎ出せない気がしてやめた。

あらふね山荘入り口

18:59

薄暗いトンネルを車道を走るのは危険すぎるのでやめた。クリートをはずして、一段高くなっているる側道を上る。ライトを持ってくるのをわすれたので暗い。ほのかな明かりの中をひたすら漕ぐ。ここでパンクしたり、脚攣ったりしたら、暗いなかをひたひたと歩くしかなくなるのか。。。


トンネルと抜けてもなお続くのぼり。右手のはるか先に看板が見える。その下には仲間の姿。「あらふね山荘入り口」もうすぐだ、ここまで登ればもういいだろう。あとは、てくてく自転車を転がしながら歩いて、サポートカーに拾ってもらおう。そう思っていた。


ひと漕ぎ、ひと漕ぎ、ぐおぉ、はぁと声にならない声とともに登る、エリックがもう少しいぃと声をかけてくれた。疲れた。もういいや、ここまで登ったらもう脚は残っていない。


ここから4.5km先に山荘があるのだけど、さらに斜度が急になっている。とても登れる気がしない。


さて、自転車を押して登ろうかと思っていたら、井口さん、本橋さん、三澤さんが自転車にまたがって登り始めたではないか。。。まじか、行くのかこの脚で。。。


登れるとこまで行ってあとは歩けばいい。。。そう思ってあとに続いた。
脚が品切れになった坂内さんはサポートカーに(山荘)入り口で待っているって伝えてねと言っていた。

最後の登り

くねくねした登りが続く。珠洲の大谷峠のようだ。車なんてこないので道幅めいっぱい使って漕ぐ。どこが終わりなのだ。。。前を行った3人はもう見えない。


ひとり旅が続く、インナーロー。あたりまえだけどもうギヤは残っていない。思い出したようにサイコンを見てみる。時速8kmだ。走ったほうが速そうだ。


曲がっても曲がってまだ続く登り。あたりは暗くなってくる。自転車を押して登っている三澤さんを一度はは追い越した。けど、また漕ぎ出した三澤さんに抜かれた。ほんと脚が残っていない。自分でもどうやって登っているのかよくわからない。


左に大きく曲がりながら急になる道。もうすぐ山荘かとおもいきやのこり2kmの看板。まだか。。。井口さんと三澤さんが立ち止まっている。降りると登れないぞ、そのままいけーと声をかけてくれた。声を返す元気もない。小さく返事をして黙って登る。


抜いたはずの2人にすぐ抜き返された。暗くなってきた。前から一台車が降りてきた。サポートカーではなかった。ずっと続いた登りだったけど、少しだけ平坦に、そしてなんと下りになっている。ほんの少しだったけど、これは助かった。もしかしてこのまま平坦路のまま山荘かも。と思ったが再び坂が現れた。まじか。。。



のこり750mの看板。サポートカーが後ろから登ってきた。あれ?いつ降りていったんだろ。
大丈夫ですか?と声をかけてもらう。「うぃーー」っと声にならない返事を返す。


あたりは、すっかり暗くなっている。750mなんて近所の犬の散歩より短い。でも、なんて遠いんだと思いながら漕ぐ。ここまで来たら、最後まで登りたいと思った。明日の帰路は途中で離脱して熊谷の実家に寄ってそこから車か電車で帰ればいいや、とにかくあと少しだ。



右手にうっすら山荘らしき建物が見えた、登りきったエリックがわざわざ降りてきて先導してくれた、あと少しよぉ。わかったよ。がんばるよ。


アプローチを右に折れ、今度は左に折れる、未舗装路、暗いなかに仲間の影が見える、あと少しだ。ようやくたどり着いた。自転車で登りきった、よくやったよ俺。


ゴールゲートも、計時もないけど、山荘に着いた。一人だったら決して走りきれなかったと思う。仲間といっしょだったから、もしかして登れるかもって気持ちになれた。
ふぅ、もう漕がなくていいのだ。


あらためて、一人で漕いでいた44年前の佐藤さんがスゴイと思った。

到達

19:20
宿について、風呂入ってご飯いただいて、ちょっと飲んでねた。
もっとガブガブビール飲みたかったのだけど、どうにも胃が受けつけなかった。(ついでに少しもどした)
体全体がほてっていて、横になったはいいけどなかなか寝付けなかった。




翌日

翌日。標高1000メートルを一気に下る。ずっとブレーキレバーに手をかけたままだ。しびれる。こんなに登ってきたのか。と自分でも驚くくらい下る、延々と下る。
荒船の湯をすぎて明らかに斜度が変わっているのを体感した。


下仁田のローソンについたらすでに猛暑だった。山荘では涼しかったのに。。。
消耗しないように、集団で走る。ぴたりと前についてひたはしる。


平坦とはいえ昨日の疲れと暑さがボディブローとなって効いている。1時間おきに止まって水と栄養補給をした。
集団走行で1時間ごとに休憩し、160kmの工程を淡々と粛々とこなしていった。

帰宅

仲間とわかれて最後は10キロほど一人で漕いで帰った。
ひとりになるとどっと疲れがでて、さらに休み休み帰った。


やり遂げた感があったロングロングライド。でも、来年もやるのかな。考えちゃうかも。。。