peicozy's blog

マラソン、トライアスロン、ブルベの完走記と、日々思うこと

珠洲トライアスロン完走記「2度目の珠洲」

昨年(2010年)息子と2 人で参加した珠洲トライアスロン。今年は家族全員で行くことにした。パパはAタイプ(S2.5 B105 R23) 、小5の息子と小4の娘はジュニア(S0.1 B9.0 R1.4)のトライアスロンを楽しんできた。


夏休み最後の週末。子どもたちが能登半島の先端で思い切り遊んだ記憶がいつか、懐かしく美しい思い出になっていくことを願って。

息子の「ゼロ」種目目

家族全員で行くといっても、ゴールデンリトリーバーのエルフ君は留守番だ。実家に預けた。クルマに家族5人と自転車3台を乗せていく。


バイクはサリスの3台積みのキャリアでクルマにに乗せた。朝5時半に出発。雨が降っていた。家族全員クルマで行くと言ったが、実は息子だけは電車で行かせることにしていた。東海道新幹線と特急、在来線のにのりつぎ、石川県穴水駅で待ち合わせにした。



当然電車のほうが速いので、息子が家を出るのは6時半。少々不安だが、息子に家のかぎ閉めを託して出た。中央道は雨が降ったり止んだりしていた。乗り換えのたびに息子から電話するように手作りの「旅のしおり」をもたせていた。


7:52分。予定どおり新横浜発のひかりに乗車したよ。と息子から電話があった。まずは第一段階クリアだ。ただ、クルマで聞いていたラジオでは大雨のため東海道新幹線のダイヤが乱れているという。こりゃまずい。息子の旅程では米原駅で特急しらさぎに乗り換えるのだが、乗り換え時間が10分しかないのだ。


ラジオの続報では、さらに雨が激しくなっているため、東海道新幹線は運転を一時見合わせているという。息子がこのハプニングを乗り越えられるだろうか? 助手席の妻と顔を見合わせた。でも少々乗り越える壁があったほうが楽しよね。妻と僕はドキドキ感を楽しんでいた。米原駅で次の特急にのることができるだろうか? 駅員さんに状況を伝えられるだろうか。 ひとり駅のホームに立ち尽くす息子を思い浮かべた。クルマのワイパーは休むことなく動いている。中央道も雨が続いていた。


米原駅での乗り換え時刻になった。息子から電話はない。こちらからかけても出る様子はない。乗り換え時刻を20分ほどすぎてから電話がつながった。無事に予定どおりの特急しらさぎに乗れたという。ほっとしたが、ハプニングを期待していた自分は少しだけがっかりした。


息子が乗る新幹線は徐行運転の区間があったものの、運転見合わせにはならなかった。後続の新幹線が一時運転見合わせになったのだろう。米原駅では遅れた新幹線を特急が待っていてくれたそうだ。よかった。


こちらはまだ中央道。雨はいつのまにか上がっていた。


北陸道にでていくつものトンネルをくぐり、富山に出た。金沢森本ICで降り、能登半島に入る。能登半島の左側の海岸線を北上する。能登有料道路だ。また雨がはげしくなってきていた。高速にワイパーを動かさないと前が見えない。


能登有料道路は白尾ICから乗り、高松のSAで昼食をとった。高松SAは日本海をながめながら食事ができるのだが、あいにくの雨で海の向こうは白く曇っていた。空と海の境目もよくわからない。昼食はイカ墨ラーメン。息子と連絡をとると金沢駅を通過しているところらしい。まったく違う経路をたどってきているのに近くに来ていることが不思議だ。

まぼろしのスタンド

能登有料道路はいつのまにか海岸線を離れ、山沿いを走っていた。何度か料金所で通行料を徴収される。海岸線もいいけど、緑がまぶしい山沿いも美しい。


息子と待ち合わせをしている穴水駅まではガソリンが持つだろうと思っていたのだが、エンプティランプが点灯してしまった。昔何で読んだか忘れたが、ガソリンのエンプティランプがついてからおおよそ100kmは走行できると聞いたことがある。ここから穴水駅までは60kmあまり。ランプを光らせたままクルマを走らせる勇気はなかった。


料金所で係のおじさんに聞いてみた。ちなみに料金所はETCではない。

  • 自分「一番近いガソリンスタンドはどこですかね?」
  • おじさん、「だったら次のICで降りて七尾方面に行くしかないな」


能登有料道路のSAやPAにはスタンドは設置されていないのだ。
エンプティランプが光るまま、しばらく登り坂が続く。心なしかクルマに元気がないように感じる。おじさんに教えてもらったICが見えてきた。カーナビで一番近いスタンドを探した。ICを降りて1kmほど行った交差点にあるようだ。助かった。


ICを降りてカーナビが示すガソリンスタンドへ向かう、そろそろスタンドの建物が見えてきそうなのだが、その様子はない。ガソリンスタンドのある交差点に着いた。いや、かつてガソリンスタンドがあった場所に着いた。そこには、な・に・も・な・か・っ・た・、雑草がひろがっている。どうやらオデッセイ君のカーナビデータが古すぎたようだ。まいった。しかもエンプティランプはもちろん点灯したままだ。。。


道なりに進みようやく営業しているガソリンスタンドにたどりついた。すっかり空になったタンクにガソリンが満たされる。よかった間に合って。助手席ではiPhoneの充電が切れそうだわと妻が言っている。今度は電池か、、切れると息子と連絡がつかないぞ。。

能登島半周

ガソリンを入れるために能登有料道路からかなり右にそれてしまった。ついでなのでこのまま能登島を通りぬけながら穴水駅に向かうことにした。


能登島にわたる橋は、ようこそ能登島へ、あなたは○○台目の来町車です。と橋のたもとにある電光板で車の台数がわかるようになっていた。その日、自分のクルマが何台目かは見逃した。


能登島には水族館や道の駅あったが残念ながら素通り。能登島に渡るときに使った能登島大橋だが、島を出るときはツインブリッジのとを使った。


ツインブリッジのとは1999年開通。オデッセイ君のカーナビには表示されていなかった。10年間で町も道路も変わるのだなぁと実感した。

半日で成長を見る

七尾湾を右手にみながら穴水駅に向かう。平行してのと鉄道が走る。かつてJR七尾線と呼ばれていた路線は輪島まで延びていたが。今はJRは和倉温泉までで、その先はのと七尾線で穴水終点となっている。その先は廃線だ。こどものころ、おばあちゃんの家がある輪島へ電車で来たことがあったがもう電車は走っていない。


のと鉄道は単線だ。車両は1両編成のものもある。一瞬「バスが走っている」って見間違えた。息子はすでに穴水駅に着いているはずだ。車道からときおり見える、のと鉄道の線路をみながら、息子は電車の窓からこの七尾湾を眺めながら一人旅をしてきたのだなぁ、景色を眺めながらどんなことを感じたのだろう。と思った。


ふと、事故や災害でなくなった子どもが最後に居た場所に赴く両親の心境になった。きっと子どもが見たであろう景色や、その場所の空気をやはり感じたいを思うだろうなと思った。海外だったり山奥であったりしたとしても、最期に感じたことをその場から感じ取りたい、共有したいと思うだろう。


駅まであとわずかだ。穴水駅入り口の標識を左に折れた。遠くで両手を大きく振っているのが見える。息子だ。午後2時半。今朝5時に分かれてから9時間しか経っていないのに、なんだか懐かしく感じる。息子もこころなしか成長したように見える。

  • 自分「一人旅は楽しかった?乗り換えは難しかった?」
  • 息子「うーん簡単だったよ、」


そうか、次回は乗り換え7回のもっと遠回りコースにしてみようかな。

緊張のジュニアトライアスロン

初出場の娘。

スイムでは緊張のためか、なんどもなんども立ち上がっていた。バイクでは普段の家族でのサイクリングのように気持ちよく?走ってこれたようだ。ランは途中で歩きが入ったけど、完走できた。ランの周回を重ねるたびに、赤いスタッフTシャツを着たボランティアの中学生からスポーツドリンクをもらっていた。


他の選手はほとんどゴールしてしまっている。エイドでお兄さんがせっかく私に配ってくれているのだから、もらっておこうと思ったそうだ。飲み終えたコップはどうすればいいのかわからずしばらく手に持って走っていた。

なんと!小4年の娘は3位入賞できたのだ。
出させてよかった。


立派な賞状と、トロフィーまでもらえて娘は大満足だった。

サザエは一瞬で胃袋へ

カーボパーティー

山盛りのサザエが胃袋に飲み込まれて行く。。。

第22回珠洲トライアスロン〜この瞬間が永遠に続けばいいのに

スタート前

4時起床。薄暗いなか、おにぎりやらパンやらかじって会場に向かう。
鉢が崎の駐車場に着いたのは、5時半近かった。かなりの数の車がすでに停まっていて、駐車場の空きスペースをみつけるのに少しぐるぐる回った。


2度目なので勝手を知っているつもりなのだけど、なぜかいつも時間がない。
ナンバリングしてもらって、トイレに行って、バイクセットして、ウェット着て。。。

あっという間に時間が過ぎる。

スイム

7時の号砲で第1ウェーブが泳ぎだした。僕も兄も第3ウェーブだ。ウェーブ毎にスイムキャップの色が違っている。白いキャップが第3ウェーブに割り当てられている。5分おきに250人の選手がスタートしていくのだ。


家族はまだスタートに着いていない。昨晩の話では、早朝に起きてスタートに間に合うように来るとのことだったが、寝起きの悪い子どもたちを連れてクルマで峠を抜け、鉢が崎に来るのは難しかったかな。と思った。今年もお世話になっている親戚の家はスイムスタートの反対側、馬緤(まつなぎ)にあるのだ。


海では第1ウェーブの選手が300メートルのブイを右に折れる頃、砂浜に目線を戻すと、手を振りながら子どもたちがかけて来た。第3ウェーブのスタートには間に合ったのだ。


スタート前に子どもたちと並んで写真を撮り、行って来まーすと家族とにこやかに別れた。妻はビデオを回していてくれたのだが被写体の自分を見失っていた。ウェットスーツをまとった選手たちはほぼ全員が真っ黒なので、一瞬でも目をそらすと、紛れこんでわからなくなったと言っていた。そういえば会社に入りたての頃、昼食の食堂では、青い作業服を着た社員がひしめきあっていて、こりゃ誰が誰だかわからないなとという光景を思い出した。


いよいよ第3ウェーブのスタートだ。号砲。歩きながら海にはいる、「完走しよう」と兄と握手して泳ぎだす。100メートルまでは浅瀬で立ったり泳いだりを繰り返した。


最初のブイ右に回る。なんか気持ちいい。バトルになることなくぶつかることもない。同じペースの選手を見つけて、右前方に見える位置にピタリとつけて泳ぎ続けた。たまに左側から他の選手が幅寄せしてきて、ピタリとつけて泳げなくなった。そんなときは次のペースメーカーを見つけて再びピタリとつけて泳ぎ続けた。


海底は砂が舞っていてくっきりみることはできなかった。Bタイプの折り返しを過ぎる頃、ペースメーカーを見失ってしまった。しばらく一人旅だ。


2日前に鉢ヶ崎で試泳したときは、ロープ沿いに泳いでいるつもりが、あっという間に左に旋回するように曲がっていた。右手でのかきが強いので回ってしまうのだと思う。


だから、ペースメーカーを見失って泳ぐのは不安だ。なるべくコースロープが右手の視界に入るところで泳いでいた。


息継ぎのために右に首を振ると、コースロープが海面にあるのが見える。だだ、光の加減で見えたり消えたりする。そのたびに、あれ遠ざかったかもと思ってロープに近づこうと進路を変える。やはり一人で泳ぐのは難しい。


左旋回を意識しすぎて、今度はコースロープに激突してしまった。ゴーグルが斜めに曲がり中に海水が入った。コースロープの向こう側には折り返しの選手が泳いでいる。ああはやく向こう側にいきたい。


再び泳ぎだした。息継ぎは3ストロークづつ左右でやっている。右側で息継ぎするきにライフセーバーが視界に入ってきた。ライフセーバーは黄色いジャケットをまとい、ボードの上に正座して選手が向かっている方向をに視線をそそいでいる。女性のライフセーバーだ。


息継ぎのたびに視界に入るライフセーバー。なんども腕をまわしているのにまったくライフセーバーが見える位置に変化がない。おいらは進まずに同じところを泳ぎ続けているのではないかと錯覚した。ああ、そのボードにつかまって連れて行ってもらいたい。

スイム折り返し

Aタイプ折り返しのロープをまたぐ。
シロモトのウェットを着た見覚えがある風貌。あれ、兄貴!?


まったく同じペースで泳いでいたようだ。兄貴は自分を見て「泳ぎですぐわかったよ」と言っていた。あと半分だ、潮の流れはここからフォローだ。分速10mの潮。


そこから先は、兄をペースメーカーにして泳いだ。サンクス兄貴。
残り300メートル、兄を置いて1人で泳ぎだそうとするも前に進まない。
やっぱり、誰かの脇について泳ぐのはエネルギー使わないんだなと思った。


しだいに浅瀬になり、透明な海の底に砂がくっきり見える。
足が着くが、歩くより泳いだほうが楽だ。


シャワー近くで妻が待っていた。子どもたちが「がんばれー」と声をかけてくれる。
うれしい。
シャワーで十分潮を流しトランジットエリアに向かった。

  • SWIM
  • TIME : 1:03:28
  • 通過 : 558位

スイム→バイク

今回で2度目の珠洲
トランジット時間の短縮も目標のひとつだ。
ウェットの下にトライウェア着て臨んだ。


シャワーエリアで脱いだウェットの上着を手にラックへ向かう。ウェットの下はバイクわきで脱いだ。たまたまバイクラックの隣がDNSで空いていたので濡れたウェットをかけさせてもらう。大会終了までにはカラカラに乾いていることだろう。


暑さ対策のためのアームカバーをつけるのに時間がかかった。普段でもつけづらいのに、濡れた腕に伸ばしながら巻くのは面倒だった。


アームカバーがあると日差しから受けるダメージをかなり抑えることができる。しっかりと巻いていった。
家族に挨拶をしてトランジットをあとにした。

バイク一周目

そういえば昨年はDHバー装着していなかったっけ。と昨年のバイクスタートを思い出しながら漕ぎ出した。沿道にはおばあちゃんが腰をおろして手を振ってくれている。沿道の応援には、できるかぎり「ありがとうございます、行ってきまーす」とDHバーから小さく手をふりながら答えていた。バイク1週目はまだ余裕があるのだ。


田園風景に巨大な応援団が目に飛び込んできた。案山子(かかし)が集団でたてられているのだ。案山子は横に並んでいるだけでなく、縦に3人分くらい並んでいる。まるで、大きなたて看板のようにもみえる。すばらし応援団。珠洲トラのために立てられたのだろうか?


坂を登りながら「暑くなりそうですねー」とほかの選手に声をかける。「そんな涼しい顔して抜いていかないでくださいよぉー」と笑いながら言われた。皆レースを楽しんでいる。


空を見上げると青空だ。どこまでも広がっている。バイクを漕ぎ自らが生み出す風、そして山と海を通り抜けてきた心地いい風を感じながら進む。


大会中この心地いい風が止むことがなかった。親戚のおじさんも、自分が応援に出ているここ5年では最高の条件と言っていた。


応援も選手も珠洲の気持ちいい風に吹かれていた。

大谷峠

大谷峠の登りは大きく2つのパートに分かれている。国道から一気に駆け上がる部分が終わると、一旦斜度が緩む。ここにはエイドが設けられている。エイドを越えてすぐに旧道に入る。旧道が大谷峠の上の部分だ。選手は下の登りを終え、エイドで呼吸を整えて、上の登りに挑むことになる。


下の登りを終え、一旦斜度が緩むところで「がんばってくださーい」と選手らに声をかけ続けている女性がいた。3人くらいのグループだったと思う。自分も応援を受け、「元気が出ちゃうね」と笑いながら答えた。「やったぁ」と小さくガッツポーズして喜んでくれた。思わず笑顔になる。


大谷峠。何度も勾配12%の標識が現れる。昨年はこの標識を見る余裕もなかった。1度体験しているからか、はたまたクルマでしっかり下見をしたからか、気分は楽だ。ぐいぐい登っていけるわけではないけど、コースを知っているだけでこんなに心理的に楽なんだなと思った。


昨年は、まったく下見もせずにレースに臨んだので、視界に飛び込んでくる景色も、体が感じる負荷もはじめてだらけだった。


大谷峠頂上付近でのナンバーチェックを受ける。ひとこぎひとこぎ登る。頂上付近には自分のバイクで登ってきて声援を送り続けるひともいた。ありがたい。


旧道の下りは狭く急なので惰性にまかせて下る。サイクリングだ♪
ブルーシートが敷かれた一旦停止のエリアで降車。ここから合流となる。


知っているコースを一気に下る。広い国道をトップギヤで回し続ける。昨年は怖くてハンドルを硬く握りしめブレーキに手をかけていたけど、今年はDHバーを握り、ペダルを回し続けた。気持ちいい。ところどころはアスファルトに縦に溝が刻まれていてハンドルを取られそうな恐怖感があるがおかまいなしだった。


あっというまに下りを終え平らなコースに戻った。下り終えたところにある信号のない交差点ではクルマやバイクとの衝突を避けるため選手を優先的に通してくれている。交通整理をしてくれているボランティアの方々は猛スピードで通り過ぎる選手たちに声をかけてくれていた。
応援の声が後方に吹き飛んでいく。

バイク2週目

バイク2週目に入った。2週目ではバイクコース上にはBタイプの選手も一緒に走ることになる。Bタイプはゼッケンが青、Aタイプは赤なのでひとめでわかる。


青ゼッケンにびゅんびゅん抜かれると思ったがそうでもない、赤、青混ざりながらコースを進む。2週目に入り、太陽は登ってきたが、心地いい。


小さな坂を登りきり、両脇を木々にかこまれた下り坂に入った。先行する選手がいる。50代くらいだろうか。青いバイクだった。ゼッケンは赤だったと思う。下り坂はカーブが連続している。スピードが上がってくる。突然、青いバイクの選手がハンドルをとられた!ギヤチェンジをしようとしたのか、左に鋭角にハンドルを切れてしまったようだ。



「危ない!!!」



と僕は後ろから叫んだ。しかし、青バイクは、そのまま土の中に突っ込んでしまった。
投げ出される選手。
痛そうだ。


「大丈夫ですかぁーーー!」


少し速度を緩めながら僕は通り過ぎた。
フロントフォーク曲がってなければいいが、、でも転倒したダメージは相当なものだろう。彼の完走を祈ろう。そう思ってひたすら漕いだ。

異音

木ノ浦の海岸を見ながら登る。いい景色だ。ぐっとペダルに力を入れるとバイクからギギギっと異音がする。いつからだろう。


ギヤを変えてみたがだめだ。異音は止まらない。踏み込むたびにギギギと音がする。
坂道の途中だがバイクをおりて確かめることにした。ブレーキパッドがすれていることもない。ペダルを手で回してみがた異音はしない。


しかたなく、バイクにまたがって再び登り始めた。やはり踏み込むたびにギギギとする音。
もう一度降りて確かめた。ちょっと止まるだけで、次々に選手に抜かれる。やっぱバイクは止まったらいかんなと思いながら異音の原因をつきとめようとした。結局わからなかった。強く踏み込むとギギギというので、そろそろと回すようにした。平坦になり、下りを漕いでいたらいつのまにか異音は消えていた。なんだったのだろ。

馬緤(まつなぎ)のエイド

子どもたちが待つエイドに到着した。


「パパ疲れた?」


と息子が言う。あまりにも気持ちよかったので


「2周ではなくて、5周でも6周でも漕いでいたい気分だよ」


と答えた。ボトルに水を入れてもらい、バナナをかじった。
ほんとうに風が心地よくてこの瞬間が永遠続けばいいのにと思って漕いでいた。


2度目の大谷峠、海岸線を終え、Uターンするように国道に接続する。減速ポイントに立つ親戚のおじさんに大きく手を振って挨拶した。


これを登りきったら、来年まで登ることはないのかと思うを寂しささえ感じる。心拍を抑えてマイペースで登った。時速8kmくらいか。苦しさはない。


大谷峠を終え、国道への合流一時停止エリアで立ちコケしている選手が居た。大丈夫だろうか。合流後の下りはサイコンによるとMAX71kmだったようだ。(ほんとかな?)下り全速で降りながら3人をパスした。


平坦路はやや向かい風だ。DHポジションのまま小さくなって進んだ。
開会式とジュニアトラが行われた、健民体育館わきを通る。一部だがジュニアのバイクコースと同じ道を走る。昨日は息子も娘もこの道を駆け抜けていったのか、と思いながら漕いだ。彼らにはどんな景色としてまぶたに写ったのだろう。


しだいにバイクの終わりが近づいてきている。鉢ヶ崎に下りていく最後の下り坂も目いっぱい漕いで下りた。昨年はヘロヘロで惰性で降りていた道だ。


バイクエンドに向け沿道の応援が増える。見知らぬ人々の応援がパワーになっていく。

バイク→ラン

昨年バイクラックに到着したときは、びっしり埋まったラックの隙間に自分のバイクを差し込むように入れたが、今年はまだ余裕があった。


メットを取りバイクに乗せた。メットを取るときに、頭にかぶっていた汗取り用のバンダナがはらりと落ちた。着けていたことをすっかり忘れていた。バンダナのおかげで快適だったのかもしれない。


どっしり腰を下ろし、靴を履き替えた。食べ残したパワージェルをそのままトライウェアに入れていくか、ここに置いていくか一瞬迷った。ランのときはなるべく身軽で行きたかったし、2kmごとのエイドで十分補給ができるだろうと思って、置いていくことにした。


見附島まで行って帰ったらゴールか。半分以上すぎてしまったレースに少し寂しさを感じた。足取りは軽い。ランスタートのゲートをくぐった。


  • SWIM TIME : 1:03:28 通過 : 558位
  • BIKE TIME : 4:20:34 通過 : 474位 BIKE順位 : 444位

ラン

完走には十分な時間がある。沿道に腰をおろして応援してくれる人たち。声をかけてもらったり拍手で送り出してくれたり、うれしい。


しばらくまっすぐ進む。復路を終え、ゴールのある野球場に道を折れていく選手が見えた。ピンクのウェア。kagamirさんだ。Twitterで10年連続出場って言っていた。あとでリザルトをみると6位だったようだ。すごい。


来年の自分の目標としては、ランの復路を走るトップ選手をレース中にみることだなと思った。


気持ちのよい天気、日差しは強くなってきたけど風がここちいい。2kmのエイドがまだかまだかという気持ちではなく。あら、もうエイドか、という感じだった。


エイドで梅干をもらった。おばちゃんが「スッパイは成功のもとだからね♪」と笑わせてくれた。口にほおばる、クエン酸が体に染みていく。


エイドでは水分補給の他、毎回氷をもらった。氷はトライウェアのポケットに突っ込んで走った。冷たい氷がほてった身体を冷やしてくれるのではと思ったから。時折ポケットから氷を取り出し口に含みながら走った。途中のガソリンスタンドでトイレを借りた。


復路を行く、jfzさんや、samsamhammerさんを見つけた。みんないいペースで走っている。
レース中仲間みつけるとうれしくなるし、こっちも元気をもらう。


見附島に着いた。「見附島折り返し」なのだけど実は、ランコースからはっきりと見附島は見れないのだ。今年も折り返しのエイドには生徒さんたちがボランティアで活動していた、ありがとう。

ラン折り返し

復路。なるべく日陰にはいるように、車道と歩道をいったりきたりしながら走った。「もう、海に飛び込みたいねっ」と沿道に声をかけてみたりした。


残り8kmの看板。時計はスタートから7時間10分になろうかというところ。制限時間は9時間20分なのでどんなにゆっくり走っても間に合うだろう。


どこからか、声がした。こころの中で「サブ8達成しようぜ」と言っていた。宮古島で残り5キロ強、足が止まりかけた時に「サブ12達成しようぜ」と声をかけてくれた池田さんを思い出した。


のこり50分で8キロか。キロ6分前半で走りきらねばならない。エイドにも止まりたい。素の状態で8km走るなら簡単だけど、疲れた体でいけるかどうかは微妙だと思った。


とにかく決めた。サブ8目指して走りきる。ペースアップする。エイドでゆっくりする時間はない。往路でエイドに止まったときのラップはキロ7分を越したこともあった。こんなときラップが見える310XTは心強い。


ペースアップしてしばらくするともう一度8kmの看板!?さっきのは見間違えかな。ぼぉーっとしてよく覚えていない。時間だけが過ぎ立ち止まってしまったような感覚。まずい、やっぱりサブ8は無理なのか、、、完走しましたって元気よくツイートしたかったのに。いろいろなことが頭をめぐる。とにかく行こう、残りを精一杯走ろうと思った。


エイドごとにあと何キロですかね?と聞くけどそんなに正確に把握している人はいない。
運良くちょうどいいペースで走る選手をみつけてあとに続いた。ペースメーカーに、3kmくらいは引っ張ってもらったように思う。ありがとう。ペースメーカーがエイドにとまっている間に追い抜いた。あとはひとりでいくしかない。


8時間まであと28分。看板は残り4kmの表示。正確な距離表示かなと不安になる。先を急ぐ。表示どおりならキロ7分で十分だ。でも気は抜けない。


ビィィ。310がラップを知らせる。5分30秒だ。残り2kmの看板。サブ8までのこり14分。いけそうだ。うれしい。

そしてフィニッシュ

道を左に折れた、ゴールのある野球場が見えてきた。
息子が迎えにきてくれた。「パパが帰ってきたぞー」と平行して走る息子。


野球場に入り後ろに続く選手の間隔を確認する。
3人の子どもたちを手をつないで同伴ゴールした。うれしい。
サブ8も決してひとりでは、なしえなかったと思う。


今年の珠洲は本当に気持ちよかった、心地いい風がレース中ずっと吹いていた。

  • RUN
  • 2:33:20
  • RUN順338
  • 総合424位

10年間

今年で2年連続2回目の完走できた。
珠洲には「10年連続完走賞」というのがある。これは受賞してみたいな。


10年目にはちょうど息子が高校を卒業して出場資格が得られる年でもある。
10年連続完走とともに息子との対決を実現させてみたい。


おわり。