peicozy's blog

マラソン、トライアスロン、ブルベの完走記と、日々思うこと

生きていることを感じる瞬間

福岡伸一さんの「できそこないの男たち」を読んで、府に落ちた文章があった。

私たちにとっての媒体とは何か。それは時間である。と私は思う。時間の流れとは私たち生命の流れであり、生命の流れとは、動的な平衡状態を出入りする分子の流れである。つまり時間とは生命そのもののことである。生命の律動が時間を作り出しているにもかかわらず、私たちは時間の実在を知覚することができない。
いや、もしろこういうべきだろう。生命は時間という名の媒体の中にどっぷりと浸されているがゆえに、私たちはふだん自分が生きていることを実感できないのであると。ならば、時間の存在を実感できる一瞬だけ、私たちは私たちを運ぶ媒体の動きを知り、私たち自身が動いているということ、つまり生きていることを知覚しうるのではないだろうか。

トライアスロンの時に生きていることを強く感じたのは、媒体(=時間)を自分の肉体が移動しながら通り抜けていったからではないだろうか。きっと特殊なカメラがあったとしたら、肉体という澱みが時間の中を移動していく様が撮影できただろう。


生きていることを実感するには「自らが動くこと」なのだと思った。

できそこないの男たち (光文社新書)

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